プロの試合に出場し勝つことを目標にするだけがプロサーファーではない- 藤原和将プロ 《前編》

FUNRIDE 編集部

FUNRIDE TALKの第3回目のゲストは1976年生まれ神奈川県横浜市出身、宮崎に移住して25年のJPSAプロサーファーでありエープロジェクト株式会社 代表取締役社長の藤原和将さんです。

プロの試合に出場し勝つことを目標にするだけがプロサーファーではない。最初からプロの試合に出場するつもりが無く35歳でプロサーファーの資格を取得した理由をお聞きしました。

本稿は、Youtubeの放送を加筆修正したものです。

MC田島亜聖(以下、田島):今日は、藤原プロを迎えてのファンライドトークでございます。よろしくお願いします。

まずは、プロフィールを簡単に。

1976年の神奈川県横浜出身。高校時代はアマチュアレスリングをやっており、スポーツ推薦で横浜から南九州大学に入学されました。

学生時代にオーシャンドームでアルバイトをしていたのを切っ掛けに、宮崎のライフセービングクラブの立ち上げにも参加したと。サーフィンとの出会いは?

プロサーファーで食べていく覚悟は無かった

藤原和将プロ(以下、藤原):レスリングで入った南九州大学が当時高鍋町にあり、目の前がサーフポイントでした。

レスリングで朝、ビーチまで走っていくと、僕らがスクワットや腕立て伏せをしている中、サーファーが海に入っているのを見て、めちゃくちゃいいなあれ…と思ったのが出会いですね。

田島:ということは、18歳からサーフィンをはじめたと。プロになったのは35歳で、結構遅いですね。

大学を卒業して普通に仕事をされていたんですか?

藤原:そうですね。プロになったの時は、自営業をはじめている最中だったので、遅いですね。

田島:2012年にプロになられたんですが、2006年には小学生を対象にした、体育教室アドバンスポーツクラブを立ち上げているんですよね?

そして2009年に全日本級別選手権で優勝してからプロになったと。35歳でプロになるまで、チャレンジし続けたんですか?

藤原:18歳でサーフィンを始めた時はショートボードからでした。22歳くらにショップのライダーになりたいと考えたんですが、ショートだと厳しいなと思いました。

でも、ロングボードならいけるんじゃないかなと。周りを見た渡した時に、ロングボードのライダーがいなくて…この枠狙えるんじゃないかとw

でも、それがターニングポイントでしたね。

田島:自分で立ち上げた会社で仕事をしながらプロを目指すのは、試合を周ったりする時間を作るのが難しいように感じますし、そこまでプロを目指した理由は?

また、35歳でプロになったわけですが、そこからプロでお金を稼いでいくのは、現実的とは思えないのですが…

藤原:僕はプロサーファーで飯を食べていく考えは最初からなかったですね。

ショップのサーフィン大会や宮崎市のサーフィン大会に出て、ある程度勝てるようになってきたんですが、オール九州の大会でファイナルに残れるようになってきんですが、ずっと勝てなかったんです。

銀次郎って言われるくらい、ずっと2位が続いて><

でも、1回オール九州で勝てたことがあり、調子にのってプロトライアルに挑戦したら、1コケのボロ負けを味わいました。

実は、プロになるまで6年かかったんですよ><それが35歳の時です。

29歳の時にアドバンスポーツクラブを初めていて、ある程度時間を自分で作れるようになったのでプロに挑戦し始めたんですけど、なかなかプロにはなれなかったですね。

田島:最後の方は、プロになるのが目標。ここまできたら意地でもプロになる感じでしたか?

藤原:そうですね。35歳の時には、結婚もして、子供もいましたし。プロで食べていく覚悟は無かったですね。

ただ、ここまでやってきたし、目標ではないですが、全日本でも優勝してましたし。

プロサーファーの肩書が、ビジネスチャンスを産み出す

田島:仕事を10日くらい休んでプロトライアルに挑戦してたわけですが、奥さんは何か言わなかったんですか?

藤原:応援してくれていましたね。

田島:なるほど、理解のある奥さんの支えもあり、35歳でプロになったんですね。

前回出演していただいた水元さんはプロの資格は失効してしまっている、ということだったんですが、藤原さんはまだプロとしての資格を保有している。その理由は何かありますか?

藤原:せっかく取ったからといのもありますし、私の仕事が、子どもたちに運動を教える教室をやってたり、障害のある子供たちにもスポーツを通した成長の手助けをしています。

そんな中で、プロと出会う機会はあまりないと思うんですよね。プロと接することで、少しでも勇気を与えることができれば面白いのではないかと考えています。

あとは、いやらしい話ですが、名刺にプロサーファーと書いているだけで、「プロなんですね!」と、話が盛り上がったり、次に繋がるんですね。

田島:プロサーファーの肩書が、ビジネスチャンスを産み出すことがあるんですね!

ちなみに、サーフィン自体が仕事に活かされる場面はありますか?

藤原最近あったのが、東京の世田谷に住んでいる子供たちが、お金はあるんだけれども、子どもの自由がなかったりとか、個性がないとか、結構締め付けられてる感があるらしく、宮崎に呼ぼうということになったんですね。

東京の子供たちと、宮崎の子供たち交流させようと。

そして、ただ遊ぶだけでなく、スポーツを通したキャンプ。しかも3泊4日の長い期間のキャンプを通して、様々な経験をすることによって、友達になった子供たちが大人になっても友達でいれたり、家庭同士が繋がったりとか。

そこで、サーフィンスクールもやったんです。

田島:あっ、それ僕も手伝いましたね!

藤原:そこでプロサーファーが教えてくれるっていうのが、イメージが違うかなというのも正直あります。

そんなちょっとした架け橋になれたらなと。

私は横浜から来た人間でもありまし、横浜から来て宮崎の良さをすごく感じていますし、それを広める仕事ができるのではと感じています。

そこで、プロサーファーという肩書が、聞く耳を持ってくれる切っ掛けになれればと考えています。

宮崎でビジネスをはじめることのメリットは多い

田島:なるほど。サーフィンとは少し話が変わるかもしれませんが、県外から宮崎に来て、会社を立ち上げるのは難しくなかったですか?

藤原いや。逆に僕の場合は、宮崎でやることによって目立ちやすいというメリットがありました。

それこそ、新聞やテレビに取り上げてもらいやすく、宮崎発進というのはやりやすいイメージです。

同じことを、例えば横浜とか、私の地元でやっていたら、ここまで注目されなかったと思います。

田島:宮崎にずっと住んでいる人よりも、県外から来た人の方が、瞰で宮崎を見ることができるので、ビジネスチャンスに気づきやすかったのかもしれませんね。

藤原:僕が宮崎に来た理由はレスリングでしたが、宮崎でサーフィンをはじめて、ライフセービングにつながり、幼児の体育の仕事で起業しました。

宮崎に来たからこそ、この3つの仕事に出会えたんですよね。

田島:なるほど、宮崎だからこその仕事に、多く携わってきたわけなんですね!

これからプロサーファーを目指したりするうえで、将来にちょっと不安がある若者も沢山いると思うんですよ。

でも、そうじゃないぞ!サーフィンをやりながらでも、こんだけ成功を収めることができるんだ!

という夢を、藤原プロには、与えて欲しいと思います!